Expression
アウトプットがインプット、
表現することが内観になる。
アーティスト 藤元 明
- 藤元 明 Akira Fujimoto
アーティスト - 1975年東京生まれ、東京在住、東京藝術大学デザイン科卒業。1999年コミュニケーションリサーチセンターFABRICA(イタリア)に在籍後、東京藝術大学大学院を修了。同大学先端芸術表現科助手を経て、アーティストとして社会や環境の中で起こる制御出来ない現象をモチーフに、社会へと問いかける展示やプロジェクトを立案・実施。様々なマテリアルやメディアを組み合わせ作品化している。主なプロジェクトに『ソノアイダ』、『海のバベル』、『FUTURE MEMORY』、『2021』、『NEW RECYCLE®』など。
- www.vimeo.com/akirafujimoto
www.sonoaida.jp
藤元明氏の近作 Replacement #31 2023
美術ってなんだ?
どういう経緯でアーティストとしての今があるのか、高校時代からお話を聞かせてください。
品川区の実家から、靖国神社の隣にある都立九段高校に通っていて、部活はアメフト部に所属していました。特徴としては第一東京市立中学校からの歴史があり、赤いふんどしで海の遠泳や崖からの飛び込みといった伝統行事もあったり、 体育祭も本気の棒倒しや騎馬戦が残っているような、僕にとっては楽しい伝統でした。 一方で「自立自主」が校訓で、自分で考えて行動、先生はいちいち何も言わない。校則も校内でガムを噛まないっていうだけ、金髪とか長髪のやつとかいるような自由な学校でした。 自分は2年生から、勝手に一般授業とか自分の人生にもうこれ必要ないなと決めちゃって、部活や筋トレばかりしてましたね。自分の家は割と国立や一般大学にちゃんと入る雰囲気で、受験の時期になって受けれる大学がないと気づき焦りました笑。あるとき先輩が浪人して美大受けるってはなしを聞いて、美大ってなんだ?って、しかも国立の東京藝術大学があるのを知り、上野にあって家から近いしここしかないなと。高3秋くらいから藝大を目指すようになっ て、一浪して東京藝術大学のデザイン科に入学しました。
お前は何者なんだみたいなことを学ぶ世界だった
藝大はどんなところでしたか?
当時藝大の仲間のノリ、いい作品を作れば良いしキャラクターが面白ければ大体OKみたいな価値観でした。無知ながら一生懸命作ったし、必死で遊んでいました。作品作るって何だ?。上手に作る?何に対して上手に作るんだ?俺は一体何者なんだ?みたいなことで自分を内観する4年間。こういう風に上手に作りなさいよということを教わる世界ではなかった。
ちょうど大学院に上がる年に先端芸術表現科ができて、日比野研(日比野克彦研究室)ごと先端に移動、デザイン科とは全く違う環境になりました。そこでは現代美術、舞台、メディアアート、ワークショップなどの知らないことだらけ。20数年前の藝大にはまだ現代美術を専門に教えるセクションはなく、学生も油科・彫刻科とかファンアートはあっても「現代美術って何?」みたいな、まだそんな時代。 初期の先端芸術表現科では、教える側も体系化されてなくて実験的、各分野の先生たちが熱っぽく学生と混じり合ってる状態。その時代に内観的なことではなく、美術としての社会的外接やその意味なんかを学ぶことができたのは自分にとってすごく大きかったですね。
そのころにはアーティストを目指してたんですか?
まだそうはなってなかった。そのころ偶然、ファブリカというイタリアの組織に行けるチャンスがあって…セレクションがあってそれを受けたんだけど、運良く受かって、1年間くらいイタリアに行くことができた。そこにはいろんなクリエイティビティのギャップだったり、世界の認識のギャップみたいなのがあった。日本の狭い世界に生きていた、特に芸大みたいな狭い世界から外に出てみたら、全然違う常識あって。それを学ぶこと、体感、体験があってっていうのが人格形成に大きな影響を与えた。そのファブリカの問いが面白かった。人権の話、差別の話、戦争の話、民族間の文化のギャップてのが基本的なテーマだったね。
セレクションでは何を提示したんですか?
まだ自分の中にアーティストとか美術みたいな意識はなくて。24歳のとき偶然、FABRICA(イタリア、ベネトンが主催するコミュニケーションリサーチセンター)という組織のセレクションに運良く受かり、1年間くらい海外経験をしました。 当時のFABRICAは人権、差別、戦争、民族、文化なんかをテーマにしていて、世界中から同世代のクリエーターが40人くらい集まっていて、課題という形ではなく実施されるプロジェクトに取り組んでいました。そこでクリエイティビティのギャップだったり、世界常識の感覚を体験できたと思う。日本の狭い世界、特に藝大みたいな狭い価値観から外に出てみて初めて自分の弱みと強み知るみたいな。色々な国の若者と生活しながら、考えていることを色々な方法を駆使して伝える。人格形成においても、作品への取り組み方においても大きな影響がありました。
セレクションでは何を提示したんですか?
大学院1年生のタイミングだったので学部4年の時の卒業制作を見せました。ハンドメイドで作った全身スーツとそれを着て街中でパフォーマンスしている写真集が作品。グラフィックやパターンをプリントした透明ビニールの中におもちゃだったり、エロ本を入れたり、自分にまつわるいろいろな要素を重ねたオリジナル生地にミシンでジッパー縫いつけて、繋げていくと服になっていくみたいな。それを着て国会議事場の前に行ったり、バイク乗って東京の街中走ったり、家族写真を写真館で撮ったり、兄貴に「馬鹿じゃねーの」とか言われながら笑。そのスーツをセレクションで着て立っているだけ。他の参加者は一生懸命、英語でプレゼンしてる中で自分は一言も喋らず立ってるだけ。FABRICAの人たちは写真集みながら「ブラボー」だって笑。
何を思ってそのスーツを作ったんですか?
デザイン科だったからアートだとは思ってなくて集大成として何をデザインするのかを考えました。他の人は機能的なソファとか、かっこいい照明作りましたみたいなバリエーションがある中で、自分は社会と自分の境界線、パーソナルとパブリックの境界線デザインする、ってことになって。今思えば美術っぽいアプローチだだね 笑
セレクションで勝つことの戦略みたいな意識はあったんですか?
基本的には人と似ちゃうとまずいっていう感覚はあって、他人と違うことで本質を突いて内観的感覚や見地を表現として開発、証明するみたいな。
誰もやってないであろう感覚や見地を開発して証明する
その考え方は今も意識されてるんですか?
アーティストはそれでしか無いと思う。マーケティング的にあれが売れてるからそれっぽいのを描くじゃなくて、見たことのない表現や感覚を視覚化するということに挑戦して、初めてみる感覚を理解できるリテラシーの高い人たちから評価がもらえるまでやってみるという意識かな。
世の中のないところを攻めれるっていうのが一番いいかもしれないですけど、あら ゆる表現で溢れきってる世界でどんな事を考えてますか?
藤元明という個人がやりたいこととか好きな感覚と、アーティスト藤元明がやることがイコールじゃない。デザインって末端側、フィニッシャーじゃない?アートは一番川上まで上がりきったところで自分がやりたいかどうかいうことではなくて、アーティストの俺がこれまで積んできていることと、これから打ち出すべきことを考えていくことだと思う。
アウトプットがインプット、表現することが内観になる
作品作りについて、どんな試行錯誤をしていますか?
僕は多分、結構器用だったり体力があるので、作ろうと思ったら人より早いスピードで作れるし、色々なことをやってきました。最近は特に大きい絵画作品を展示発表する機会とか決まっていないのに大量に作っています笑。感覚としてはマラソンで言う走り込みみたいなもんで、いきなり42キロ走れと言われて走れないのと同じで、いきなり凄い作品作れと言われても出来ないからトレーニングのつもり繰り返して制作しています。 フィジカルに制作すると見えてくる感覚があって、やれば良くなるかばかりではなくいけど、インプットは確実にある。物理的にも思考的にも出力することが内観になる。表現し続けることで「アウトプットがインプット」のサイクルが見えてきました。
制作について
1年くらい前に黒田(現在の制作チームの仲間)が前職を辞めたって聞いたから誘って、 「明日、能登に海ゴミ探しに行くけど行く?」っていきなり電話して 笑。行けるって言うから、それからここ一年彼と制作してます。1人だったらそこまで頑張れないけど、2人なので制作の量とスピードが上がってます。自分も以前そうでしたが、展覧会があるから作る宿題型になってしまうと受け身の状態で、展覧会がいくつか重なったとき追いつけない。昨今発表する見込みもないのに作理り続けていますが、アートの場合回収は今じゃなくてもいいと思っていいて、今は走り込んで筋肉つけておくみたいな。
アーティストは社会のカナリア
自身のプロジェクトの中で印象的だったものは?
一番興奮したのは『2021#火葬』かな。上手くいくか分かんないんだよ燃やしたことないから。それなのにクソ田舎に呼びつけられた100人ぐらいが集まってる。やばいよね笑。燃やすっていろんな意味でパワーがあるじゃない? 灰になってなくなるっていうのもまた面白い。 日比野さんを電話で誘った時に「ちょっと行けないけど、 火の付け方が大事だぞ」と。オリンピックだったらアテネで火を作る、それをうやうやしく飛行機で運ぶ。その火が大事なんだ、みたいな話をされてお前のその火はどういう火なんだ?と、、結果普通に火を点けたけど、すごくよく燃えて、全て灰になってスタッフも納得みたいな(アマプラ検索:TOKYO 2021で様子を見ることが出来ます)
明さんの作品やプロジェクトの名前って凄くシンプルですね
「2021」みたいな究極にシンプリファイされた記号になると逆に余白があって人が参加しやすいんですよね。各々の解釈も勝手にできるるし、参加者が拡張していくのが面白いよね。「ソノアイダ」とか、隙間がいっぱいある。本質的には空間と時間の話をしていて、一般的都合じゃない価値観のものを都市の隙間にアートとして入れましょうみたいな話。そういう一過性場所やプログラムを作って自由な振舞いをしていると、アーティストや友達やその仲間たちが乗っかってきてくれて勝手に楽しくしてくれる。そういうのは素直に嬉しいですね。
アーティストとしての役割について
アーティストはもう一方で社会のカナリアみたいなところがあって、みんなが思ってるんだけど言えねないこと、見えないことをカナリアには言える的な。これっておかしくないかとキーキー鳴く。世の理に対してサイエンスだと数値化したりエビデンス取らなきゃいけない、政治家だったら都合を踏まえた上でモノ言わなきゃいけない。会社組織背負ってる場合は個人的の意見って社会に出せない。でも、アーティストが個人の責任において作品で表現する方法があって、抽象化しつつ本質的なこと可視化する。オーディエンスがどう受け取るかは余白がある状態。社会の答えがない「問い」のようなことに対して、アーティストが何か言う役割の場合があると思ってます。
自分は「2021」「ソノアイダ」みたいな社会性のあるプロジェクトをやる一方で、非常にパーソナルなドローイング(絵画)もやり続けていて単純にいいとか悪いとか、もっとこうだな、ここにもうちょっとあれやこれや、、、みたいな ことを真剣にやって、何をやってんだ俺はとか、、笑。でもそういうときの真剣度合いが一番楽しい。どこにも向かってないかもしれないけど、そういうのはやればいい。そうゆう理屈抜きのところに人が興味を持つというのも事実。
また別のアウトプットとインプット
作品をつくる、発表する、2種類のアウトプットについて
自分の中のものを形にする作品作りでのアウトプット。その次にこいつを発表するというアウトプットがあります。作品の成り立ちとして、作家の思いとかコンセプトですみたいなのがあるけど、発表されると作家と関係ないところで作品が一人歩きしはじめて評価されていく。売れたりするとより遠くへいってしまう。時に自分が思っているのとはまた違った評価においてプレゼンテーションされていたりするけど、アート作品ってそうやって自立していくもので、作家と作品と2つの人格とその関係で立体的に見えてくると思います。その上で対外的な評価を知るのはまた別の意味でのインプットになる。どの作家も評判が良かった作品を繰り返し作るのか、自分のルールの中でまた新しいものを作るのかという葛藤は常にあると思います。それは作家の性質違いはあれど、息が長い作家は両方やってる。評判良い焼き直してたくさんの人に広めて、一方で、はたから見ると、なんでそんなことやるの?みたいなこともいろやるんだよね。いつまでも自分の中のルールだけでやってても居場所がなくなっちゃうから。
作品作りの過程で自分の状態の良し悪しについてどう感じてますか?
同じような考え方のものを繰り返したくさん作っていて、アートの意義があるのか、みたいな葛藤はある。これに対しての意味付けをあえてしないで作り続ける。やり続けることでその先になにかあるかもなって。何もしないより良いかな。
経済的合理性とはまた別の価値観ですよね
実は人間は経済合理性のために生きてない。お金があると安心したり楽だったりするんだけど、人間はそんなことのために生きていない。子供育てとかもろそうじゃないですか、経済合理性じゃないじゃないですか。もっと自分が納得したりとか、いいなと思ったりとか、根本的に楽しいなと思うことって、あれが儲かったか儲かないか、みたいな話だけではない。儲かったときの快感もあるんだけど、それは人生のごく一部だよね。みんな忘れていっちゃうというよりかは。鈍くなっていっちゃう。
その考えを踏まえて次の一歩を踏み出すには?
それははっきりしていて、安心を忘れろってこと、安心は幻想だから。これだけ給料もらえる、これだけ安くなるとかそいうことにしがみつく。ちょっとした安心のために本質を外す振舞いをよく見ます。保身のために相手を落とし入れるとか、立場を安心させるため全体に対してブレーキをかけるようなこと。そうすると周りが不幸になる。安心では物事は発展するわけがないから。それこそリスクをとって自分で自分の名の元にやるときに身の回りの物事や社会が発展するのだと思います。
安心イコールお金みたいな風潮ありますね
最後に付け加えるとしたら、人は人に集まるんだなと、人生は人が一番大事だと思っています。ちょっと抽象度が高いんだけど、人に向き合ったときに国や人種や文化を超えて面白いことが起きると思っています。